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2011年4月16日土曜日

志津川からの便り~3~

「志津川にいる友人からの長々メールをまたご紹介します」
一部、個人名・団地名・会社名等はイニシャルに変更しています。
メールが届いたのは6/15

題:被災地から前向​きメール


>「復興=復幸に向けて今自分たちに出来るコトを精一杯やろう」
>
>
>↑コレは被災地でガンバる仲間内で最近よく口にしている言葉を社訓っぽくしたモノです
>これからはこの言葉を合言葉にしてバリバリ復幸に向かってガンバります
>
>どーも
>この一ヶ月、配給の食料しか食べてないのになぜか1㎏太ったオトコ・ O です
>
>
>ボランティアで避難者を回っていると行く先々でいろいろ振る舞われて、気が付くと普段の食生活より摂取カロリーが高くなってしまいます
>
>
>でも栄養は偏ってるとはいえ、腹イッパイ食べれる幸せ最幸です
>しかもこの一ヶ月口にしているのは100%全国の皆さんから寄せられている救援物資です
>本当にボクたちは字の如く生かされていますm(_ _)m
>この感謝の念、被災地だからこそ一生忘れませんそして一生かけて伝えていきます
>
>
>
>
>不定期にとか言ってると毎日全国に紹介したいエピソードが溜まっていく一方です
>ちょこちょこ送れる程マメじゃない自分がキライです
>
>
>今日は多数?のリクエストにお応えして、被災地での日常生活を紹介したいと思います
>内容は自分の家がある南三陸町のA団地の例です
>
>
>まずは起床は基本日の出(笑)寝るのが早すぎるからイヤでも目が覚めます(笑)
>
>
>
>6時半から集会所でラジオ体操。
>終わったら近くにある大きな避難所に炊きたてご飯を取りに行く
>
>
>
>7時から当番の奥様方がオニギリ握り。
>オトコ衆はトラックから物資の積み降ろし
>
>
>
>一回帰宅して朝メシ
>
>
>9時頃から集会所で近所のオッサン達と井戸端会議
>ここでガソリン入れれる場所とか、どこの道路が通れるようになったか、どこで衣類が貰えるかとかの貴重な情報が得られます
>
>
>
>
>10時からは午前の班長会議
>ウチの地区は約150世帯・650名の13班編成。
>班長は持ち回りの一年交代で、ちなみ O 家はこの4月から班長となってしまいました
>
>
>
>区長から連絡事項(行政、学校関係、医療関係の情報)や生活の注意事項、あとは昨日から始まった新企画・震災川柳の発表(笑)
>←これがまた和んだり笑ったりで盛り上がる
>
>
>
>
>話が終わると各班長に配給品を配布。
>
>班長は一輪車で配給品を班ごとに運んで、広い家の人の庭先で各家庭への分配会。ここでは各家庭から一名ずつ出席してもらって配給品を分けます。
>世帯数で均等に分けれるモノならいいんですが、班にネギ1本とか、キムチ1袋とか分割するのが微妙な配給品があるとなかなか手こずります
>
>
>ちなみに本日の午前の配給品は、
>
>オニギリ(人数分)
>レトルトカレー3パック
>オレンジ3個
>ペットボトルのお茶2本
>マレーシア産のスナック菓子
>
>でした
>
>
>
>
>配布が終わると班長会議の内容の落とし込み→マダムたちの井戸端会議がスタート
>ここで巧くマダムたちをノセておくのがウチの班の必勝法
>K苑で培ったパートのオバチャン掌握術が活かされました
>
>
>
>配給が終わるとそこで出たゴミや段ボールとかが集会所に返ってくるからそれの整理。
>
>その後は随時物資が運ばれてきたら倉庫に積み降ろししたり、仮設トイレの清掃・メンテナンスとかの作業をおこなってます
>
>
>
>あと午前と午後と二回、給水車が来てくれて給水を受けます。
>その際はポリタンクや専用の袋、空のペットボトルを持って行列が出来ます
>これがなかなか大変というか問題が良く起きます機会があれば後日紹介します。
>
>
>
>
>その後午後は2時から朝と同じように当番が集まっておにぎり握りと配給品の仕分、4時から班長会議・その後各班に配給→片付け
>
>基本的に地区の活動は5時くらいまでで、我が家では5時半には晩ゴハンです
>
>
>
>ちなみに今日のボクの晩ゴハンは
>
>配給の握りメシ2個
>レトルトの麻婆豆腐
>レトルト味噌汁
>キムチ
>燻製タマゴ
>
>
>
>でした
>
>
>
>んで食器を片付けたら6時半にはみんな布団に入ります(笑)
>
>
>
>早すぎっ
>
>
>
>
>いやいや
>だって暗くなるとするコト(出来るコト)ねーんだもん
>
>
>
>いかに電気というモノが日常に欠かせないモノなのかが分かりました(笑)
>
>
>でも面白いことに、人間この生活が一ヶ月も続いて当たり前になると、7時には眠くなるもんです
>
>おかげで朝4時には目が覚める超健康体になりました
>
>
>
>とまぁ、コレが今の自分の生活サイクルのベースで、この他に地元の有志で結成?したチームの活動があったり、行政から頼まれるボランティアの活動があったりします
>その内容紹介はまた改めて
>
>
>
>ウチがある地区は家も家族もほとんどが無事で、避難所指定とはいえ、ほとんどが自分の家で生活できています。
>ただライフラインがない、買い物するところが遠い、という状況で支援を受けています。
>団結・統制も取れているし、住民は常におだやかで笑顔があふれ、避難所としてはかなり優良な所だと思います。
>
>
>そのせいか、町の中ではそれをひがむ声もあります。
>
>
>「あそこは何も無くしてない平和ボケのやつら集まりだ」
>
>
>「いつもヘラヘラ笑ってる」
>
>
>「アイツらにはホントの避難所の辛さは分からない」
>
>
>
>このようなことを何度も耳にしました。
>
>
>実際何も無くしていない人には何もかも無くなった人たちの気持ちは分かりません。綺麗ごとを言ってもそれが事実です。
>
>
>でもいつまでも同情して傷を舐め合っていても前には進めません。
>
>
>「泣いている子供をあやす時、周りは子供に向かって一緒泣くことはしない。泣き止んでもらうために一生懸命笑いかける。」
>
>
>本で読んだか誰かから聴いたか覚えてませんが、この言葉通りです
>
>全員が元気ないんじゃダメ
>笑える人だけでも笑って、ツラい人を明るくさせることだって必要
>
>
>だからウチの地区は常に前向きにみんなで和気あいあいと頑張っています
>
>こんなことをウチの地区だけじゃなく、他の避難所で、他の町で、日本中で出来たらきっと日本は前以上に明るい国になると思います
>
>
>被災地以外のみなさん、自粛ムードなんか気にしないでドンドン楽しんでもっともっと笑って、日本中に笑顔を増やしていってください
>
>
>本日も最後まで読んで頂きありがとうございました

2011年4月6日水曜日

志津川からの便り~2~

≪友人から久しぶりに連絡が!!!そのままUPします。≫



>全国のみなさんお疲れ様です
>
>被災地にありながらも大学時代バリのテンションで生きてるオトコ・●●です
>
>
>被災から早くも三週間以上が経ち、被災地の状況も徐々に変化が見られるようになりました!
>
>一度被災地の状況をメールでいろんな方々に送りましたが、その後大変な反響があり多数の方から励ましのメール電話を頂きました
>離れていても応援してくれる皆さんにどうやったら応えられるか?
>それを考えた結果、
>
>「辛い状況が続く被災地でのミンナの頑張り、前向きさ、人の優しさ温かさやそのエピソードを伝えていきたい」
>「それを聞いてちょっとでも元気が出たりホッコリしてもらえたら」
>と思い立ち、これから不定期ではありますが(一方的に)メールを一斉送信させて頂きます(笑)
>暑苦しいから受信拒否するという方はお早めに(爆)
>
>ケータイの充電もかなり不自由なのでかなりの不定期になりますが
>
>
>
>と言っても前回のメールからもずいぶん経って、紹介したいエピソードは山程あるから紹介しきれないんですが、第一回目のエピソード紹介はやはりコレ
>
>
>皆さんから山のように届いた支援物資です
>
>
>前回のメールで被災地で不足している支援物資を伝え全国にいる皆さんに募ったところ、本当に多くの方々から支援物資を送って頂きました
>
>大学の友達、サークルの仲間や後輩、会社の同僚やアルバイトのみんな、そしてボクとは全く面識はナイけどその人たちを通して賛同してくれたステキな人たち
>本当に今まで自分が接してきた全てのグループの人たちが協力してくれました
>
>
>メールを見た1~2日後には荷物を送ってくれた人、路上ライブを通して多くの人に呼びかけてくれた人、直接被災地まで駆け付けてくれた人、なかには段ボール8個にもなる物資を送ってくれたツワモノまでいました
>そしてサクセスはなんと15本も集まりましたコレでボクも10歳は若返りマス(頭皮が)
>
>
>余りにも届いた物資の量が多かったので、留め置きして貰った郵便局では局員全員が「南三陸の●●さん」の名前を知っていて、受け取りに行った時に「イイ仲間が全国にイッパイいるんだね!」というお褒めの言葉とその場にいる人たちから盛大な励ましの拍手を頂いちゃいました(笑)
>
>
>大量の物資を家に持って帰ってきたら今度はジイちゃんバアちゃんが驚いて、山になった物資に向かって涙目で手を合わせていました
>また、母ちゃんも感動してくれて「アンタを大学行かせて良かった。転勤が多くて大変な会社に入った甲斐もあったね」と言われ、思わぬトコロで親孝行ができました
>
>皆さんから送られた物資は今日までで段ボール23個分にもなり、本当に多くの被災者の手に渡りました。
>
>カイロは灯油がなくて夜の寒さがツラいお年寄りを温め、チョコやクッキーなんかのお菓子は小さな子供たちを笑顔にさせてくれました。
>
>単1電池は未だに電気が復旧しない被災地を明るく照らすためのライトを灯し、単3電池は被災地の状況を伝えるケータイのバッテリーを充たしてくれています。
>
>
>南三陸町では未だにライフラインはどれも復旧しておらず不便な生活が続いています。
>
>しかし皆さんが全国から送ってくれた物資のおかげで、被災者の生活は本当に豊かになりました
>
>皆さんの小さな善意は被災地で大きな歓びと笑顔になり、こんな時でしか実感できない人間の温かさを教えてくれました
>
>本当に素晴らしいコトだと思います
>
>
>今日までに皆さんから送って貰った支援物資は、主に南三陸町のA団地(ボクの実家の地区)の被災者の皆さんに提供させて頂きました。
>
>プライバシーもあるため提供したご近所さん達の写真は載せれませんが、皆さん本当に笑顔で感謝されていました。
>
>代表してお礼を言わせてください。
>
>
>本当にアリガトウございましたm(_ _)m
>
>
>
>物資を送ってくれた方以外にも、メールをブログにアップしたりいろんな人たちに転送して拡散してくれた方々もいました
>
>おかげで、本当にいろんな人から温かい励ましのメールや電話を戴きました
>中には若かりし頃密かに憧れていた人からもメールが…(笑)
>
>
>皆さんからの励ましメールは、
>
>自分にはこんなに支えてくれる仲間がいるんだ
>と実感させてくれて、バリバリボランティア活動する原動力となりました
>
>励ましのメールや電話をくれた皆さん、本当にアリガトウございました
>
>
>
>被災から三週間。この短い間に何回アリガトウという言葉を口にしたことか
>本当に全てがありがたいです。
>
>
>以前読んだ本にこんな言葉がありました。
>
>
>「困難が無い人生は無難な人生。困難がある人生は有り難い人生。」
>
>
>
>まさにその通りだと実感しました
>
>未曾有の大災害をいう大きな困難のおかげで、いろんな有り難さを実感させてもらっています
>
>
>被災地は本当にツラいです。本当に悲惨で、未だ絶望の淵にいる人は数えきれません。
>
>
>でもいつまでも不幸自慢をしていても意味がありません。
>被災地にあっても何も失っていない自分がいうのはオカシイかもしれませんが、いつまでも被災地ではコレが大変、アレがツラいなどと言ってても前には進めません。
>
>確かに被災地には苦労があります。
>
>でもそれ以上に復興に向けて努力している人たちのガンバリ・前向きさ、協力し合う人々の温かさが溢れています
>
>
>どうせ貴重な被災地のど真ん中にいるなら、それを聞いた周りの人たちのプラスにもなるエピソードを伝えていきたいと思います
>
>
>
>さぁ、またもや長くなってしまった暑苦しメールですが、ここまで読んでくれた皆さんにはボクが何の考えを持ってメールを発信していきたいのかが解ってもらえたかと思います
>
>
>こんなに長くはならないと思いますが、これからもこんなカンジで被災地の状況を世に発信していこうと思うので、定期購読?のほどヨロシクお願いします

2011年3月23日水曜日

志津川からの便り

「連絡が取れなかった友人からやっと来たメールをそのまま投稿致します。」


皆さん大変心配をお掛けしました。本日やっと携帯が復活し、今皆さんからのメールを読みました。

本当にありがとうございます!絈
涙と鼻水が止まらずまともにメールが打てません・・・絈絈花粉症がヒドイもんで・



ウソです。


本当にみんなの心配してくれる温かい気持ちが嬉しくて心もカラダも震えが止まりません絈

自分はまったくケガもなく元気です瀨
心配してくれた皆さんに自分の想いと現状を知らせたいので、長いメールになります。またいつもの暑苦しい話かと呆れないでお付きあいくださいm(__)m


自分の実家のある南三陸町の志津川地区は今回の震災で最も大きなダメージを受けた街で、人口に対しての犠牲者・不明者の数が最も高いと言われている地区です。町民18000人のうち9000人が行方不明で、二人に1人が犠牲者という状況にあります。

街は一部の山間部、高台にある住宅地と学校を残して壊滅しました。
お店と言えるものは全て無くなり、街一つがソックリそのまま無くなってしまいました。

残った人々は本当の地獄の中にいます。

しかし、今自分たちはいくつもの奇跡の中に生きています。


この一週間、本当にいくつもの奇跡に巡り合いました。


まず一つ目の奇跡は、自分は病気で1年も会社を休んで実家で療養していたのに、復帰して石巻の店舗に勤務を始めたその日に地震・津波が起こったこと。
復帰が一日でも遅れていたら、志津川にいて津波が直撃していたかもしれません。

二つ目の奇跡は、自分の家が高台の団地にあり、家も家族も全員無事であったこと。


三つ目は町長が20mの津波に直撃しながらも役所の屋上のアンテナにしがみついて流されずに生き残ったこと。


四つ目は親友の父親が命と引き換えに起こした奇跡。
親友の父は役所の幹部で最後の最後まで町長と共に町民のために防災庁舎に残り、津波に流され亡くなりました。母と祖母も自宅ごと流されました。
しかし、その地区は鉄筋造りのホームセンターや三階建てのアパートがどこにあったのかさえ解らないほど破壊されているのに、その家は二階部分だけが壊れずにそのままきれいに流され傾きもせずに山影に引っ掛かって止まって、二階にいた母と祖母は助かりました。
津波が直撃して壊れずに形が残った家は街の中でその家だけです。奇跡としか言いようがありません。写真にある白い家が奇跡で残った親友の家です。瓦礫の写真はそのまわりの地区です。

親友は父を亡くしても涙をこらえ、
「父ちゃんは助からなかったけど、父ちゃんが母さんとばあちゃんを助けてくれたんだ。そんな父ちゃんを誇りに思う。オレが父ちゃんの代わりにしっかりして母さんとばあちゃんを支えていくんだ」
と決意し、今日も町のためにボランティアに励んでいます。



そのほかにもヒッチハイクした車が偶然向かいの家の人だったり、二人に1人が犠牲になっているなか、150人いる同級生に未だに誰も犠牲者がいなかったりなど、普通だったら考えられないいろんな奇跡が至るところで起きています。


跡形もなくなった街の中で、不安を抱えながらもさまざまな奇跡の中に生かされています。


自分は地震の次の日から次々と再会していく同級生と共に、情報を集めるために避難所に行きました。
避難所は混乱を極め、パニック状態でした。
ボランティアで支援に回ろうにも、指示する側の行政も何から手をつけてイイか解らない状況でした。

今、避難者がイチバン求めているモノはなにか?
避難者がイチバン助かることをしよう。
そう考えながら近くの避難所を回るなかで解ったことがありました。

避難者が今イチバン欲しいもの。それは水で食料でもなく、離ればなれになった家族の行方と安否でした。


一週間以上たった今でこそ電話もつながり道路もある程度復旧しましたが、当初は各避難所が完全に孤立した状態でした。
移動手段は津波で運ばれた田んぼのような泥と瓦礫を乗り越えるか、道のない山をいくつも越えていくしかありません。

しかし、誰かがそこを回り情報を集めたり伝えたりしない限り、誰が生きているのか、どこの避難所にいるのか解りません。

そこで父を亡くした親友と共に「安否情報収集ボランティア」を立ち上げて活動を始めました。

活動内容は各避難所を回り、避難所名簿を手書きで書き写して他の避難所にも届けるというものです。
しかしコピー機が使えないため、一ヵ所何百人分の名簿を何十箇所もある避難所分手書きで複製を作らなければなりませんでした。

瓦礫と泥の中では100m進むのにも20分も掛かったり、橋や道路が崩落している避難所間は山を3つも越えて10時間以上歩くところもありました。

それでも苦労して集めた安否情報によって親しい人の無事を確認できた人は、本当に涙を流して心から喜び、安心していました。
そうやって喜ぶ姿を見るたびに、全く知らないアカの他人のことなのに自分のことのように嬉しくて自分まで涙が止まりませんでした。

そんな感動の場面を目にして、
「1人でも多くの人を安心させ、不安な避難生活を乗り切る元気を与えよう!!」
改めてそう誓ってボランティア活動の輪は広めていき、活発化していきました。
ここでも一つの奇跡が。

自分が直接誰かに安否確認を頼まれて探しに行くとその相手は100%生きているんです。10日経った今でもそれは続いています。その数は15回(人)にものぼります。

自分には何かがついているとしか思えません。
これを読んでいる何人かは分かると思いますが、きっとそれは5年前に若くして白血病でこの世を去った親友だと自分は信じています。今でも自分の胸ポケットにはその親友の遺骨の欠片が入れてあり、共に行動しています。


50箇所近くもある避難所・18000人もの安否情報を集める中で、ボランティア活動を良く思われない辛く悔しい場面も何度となくありました。


それでも手を強く握られ涙を流して喜んでもらえる度に、この活動を頑張れる力を頂けました。

ガソリンがなくて車が使えないために何度もヒッチハイクを繰り返してアチコチを飛び回り、今日やっと全ての避難所の名簿を集め終わりました。
今では発電機の電力でパソコン管理ができるようになったため、作業は簡単になりました。
●●●

最後まで関われなかった悔しさは残りますが、それでも喜んでもらえた人は確実にいたので、
●●●今回の活動は間違ってなかったと胸を張っています。
きっと町民のために亡くなった親友の父親も喜んでいると信じています。

この町では約80%の人が家も財産も失い、今後の生活に対して希望を持てずに絶望しています。
治安も悪化し、貴重なガソリン・灯油の窃盗、車上荒らし、毛布食料の取り合い、強姦、先日は町内で強盗殺人も発生してしまいました。

それでも多くの人々は人間の温かさ・思いやりは無くさずに生きています。人間は強い生き物です。

それでも公的な機関ではない外部からの助けがなければ生きていけない状況になりつつあります。


ひとりひとりにできることは限られますが、団結して力を合わせればきっと有効な援助になりえます。


どうかどんな形でもイイので、被災地に希望を届けてください。

モノでなくてもいいです。
ひとりひとりのメッセージでも寄せ書き1つでも被災者の生きる力になります。
例え乾電池一本でも一世帯を照らす灯りとなって、涙を流して喜ばれる。そういう状況なんです。

1人一つの言葉でもイイので励ます想いを届けてください。

どうかお願いします。



自分はこの10日間で数えきれないほどの悲しい涙を見ました。
でもそれ以上の数の感動の涙を目にしました。
町を消してしまった津波よりも多くの感動の涙で町が溢れることを信じています。



長々したメールで失礼しました。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
被災地からの声はまだ書ききれないほどありますので、また次の機会に発信させていただきます。
出来たらこのメールを拡散して頂きたいと思います。サークル関係、会社内で是非広めてください。



とにかく自分は皆さんが心配してくれる想いのおかげで、こうして暑苦しく元気にしてます(^-^)v

ただ、一つだけ命に関わる健康面で気になることがあり眠れnightを過ごしています。


それは一週間以上まともに風呂に入れていないため、頭が洗えていないことです。カラダは毎日拭けていますが、これ以上シャンプーできないと頭皮のケアが心配です(笑)これ以上は命に関わります(毛根の)
誰かスカルプDを至急届けてください(切実)


欲しいと言っても無理は承知ですが、念のため被災地で欲しがられている物資を上げておきます。

・懐中電灯
・電池(単1もしくは単2)
・カイロ
・ガソリン
・簡易トイレ
・灯油
・灯油ストーブ
・飲料水
・洗顔シート
・チョコ
・携帯充電(電池式)
・docomoスマートフォン用充電器
・花粉症クスリ鼻炎薬
・サクセス(育毛剤)
・生きる希望、励ましのメッセージ



どんなモノでも構いません。
一つでも構いませんので届けてください。
佐川急便やクロネコヤマトでも営業所留め(受け取り人が営業所に取りに行く)で送れるかもしれません。志津川のヤマトは生きています。
もし可能なら調べてみてください。

いつのまにか図々しいお願いばかりになってしまいましたが、史上最大の災害地からの切なる願いです。

どうか受け止めてください。m(__)m


自分は被災地で今出来ることを精一杯やっていきます。

本当に皆さんからのメッセージで暑苦しさが充電できました。


本当に本当にありがとうございました。

また被災地からの状況をお伝えします。