「志津川にいる友人からの長々メールをまたご紹介します」
一部、個人名・団地名・会社名等はイニシャルに変更しています。
メールが届いたのは6/15
題:被災地から前向きメール
>「復興=復幸に向けて今自分たちに出来るコトを精一杯やろう」
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>↑コレは被災地でガンバる仲間内で最近よく口にしている言葉を社訓っぽくしたモノです
>これからはこの言葉を合言葉にしてバリバリ復幸に向かってガンバります
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>どーも
>この一ヶ月、配給の食料しか食べてないのになぜか1㎏太ったオトコ・ O です
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>ボランティアで避難者を回っていると行く先々でいろいろ振る舞われて、気が付くと普段の食生活より摂取カロリーが高くなってしまいます
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>でも栄養は偏ってるとはいえ、腹イッパイ食べれる幸せ最幸です
>しかもこの一ヶ月口にしているのは100%全国の皆さんから寄せられている救援物資です
>本当にボクたちは字の如く生かされていますm(_ _)m
>この感謝の念、被災地だからこそ一生忘れませんそして一生かけて伝えていきます
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>不定期にとか言ってると毎日全国に紹介したいエピソードが溜まっていく一方です
>ちょこちょこ送れる程マメじゃない自分がキライです
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>今日は多数?のリクエストにお応えして、被災地での日常生活を紹介したいと思います
>内容は自分の家がある南三陸町のA団地の例です
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>まずは起床は基本日の出(笑)寝るのが早すぎるからイヤでも目が覚めます(笑)
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>6時半から集会所でラジオ体操。
>終わったら近くにある大きな避難所に炊きたてご飯を取りに行く
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>7時から当番の奥様方がオニギリ握り。
>オトコ衆はトラックから物資の積み降ろし
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>一回帰宅して朝メシ
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>9時頃から集会所で近所のオッサン達と井戸端会議
>ここでガソリン入れれる場所とか、どこの道路が通れるようになったか、どこで衣類が貰えるかとかの貴重な情報が得られます
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>10時からは午前の班長会議
>ウチの地区は約150世帯・650名の13班編成。
>班長は持ち回りの一年交代で、ちなみ O 家はこの4月から班長となってしまいました
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>区長から連絡事項(行政、学校関係、医療関係の情報)や生活の注意事項、あとは昨日から始まった新企画・震災川柳の発表(笑)
>←これがまた和んだり笑ったりで盛り上がる
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>話が終わると各班長に配給品を配布。
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>班長は一輪車で配給品を班ごとに運んで、広い家の人の庭先で各家庭への分配会。ここでは各家庭から一名ずつ出席してもらって配給品を分けます。
>世帯数で均等に分けれるモノならいいんですが、班にネギ1本とか、キムチ1袋とか分割するのが微妙な配給品があるとなかなか手こずります
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>ちなみに本日の午前の配給品は、
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>オニギリ(人数分)
>レトルトカレー3パック
>オレンジ3個
>ペットボトルのお茶2本
>マレーシア産のスナック菓子
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>でした
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>配布が終わると班長会議の内容の落とし込み→マダムたちの井戸端会議がスタート
>ここで巧くマダムたちをノセておくのがウチの班の必勝法
>K苑で培ったパートのオバチャン掌握術が活かされました
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>配給が終わるとそこで出たゴミや段ボールとかが集会所に返ってくるからそれの整理。
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>その後は随時物資が運ばれてきたら倉庫に積み降ろししたり、仮設トイレの清掃・メンテナンスとかの作業をおこなってます
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>あと午前と午後と二回、給水車が来てくれて給水を受けます。
>その際はポリタンクや専用の袋、空のペットボトルを持って行列が出来ます
>これがなかなか大変というか問題が良く起きます機会があれば後日紹介します。
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>その後午後は2時から朝と同じように当番が集まっておにぎり握りと配給品の仕分、4時から班長会議・その後各班に配給→片付け
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>基本的に地区の活動は5時くらいまでで、我が家では5時半には晩ゴハンです
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>ちなみに今日のボクの晩ゴハンは
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>配給の握りメシ2個
>レトルトの麻婆豆腐
>レトルト味噌汁
>キムチ
>燻製タマゴ
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>でした
>
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>んで食器を片付けたら6時半にはみんな布団に入ります(笑)
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>早すぎっ
>
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>いやいや
>だって暗くなるとするコト(出来るコト)ねーんだもん
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>いかに電気というモノが日常に欠かせないモノなのかが分かりました(笑)
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>でも面白いことに、人間この生活が一ヶ月も続いて当たり前になると、7時には眠くなるもんです
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>おかげで朝4時には目が覚める超健康体になりました
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>とまぁ、コレが今の自分の生活サイクルのベースで、この他に地元の有志で結成?したチームの活動があったり、行政から頼まれるボランティアの活動があったりします
>その内容紹介はまた改めて
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>ウチがある地区は家も家族もほとんどが無事で、避難所指定とはいえ、ほとんどが自分の家で生活できています。
>ただライフラインがない、買い物するところが遠い、という状況で支援を受けています。
>団結・統制も取れているし、住民は常におだやかで笑顔があふれ、避難所としてはかなり優良な所だと思います。
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>そのせいか、町の中ではそれをひがむ声もあります。
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>「あそこは何も無くしてない平和ボケのやつら集まりだ」
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>「いつもヘラヘラ笑ってる」
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>「アイツらにはホントの避難所の辛さは分からない」
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>このようなことを何度も耳にしました。
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>実際何も無くしていない人には何もかも無くなった人たちの気持ちは分かりません。綺麗ごとを言ってもそれが事実です。
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>でもいつまでも同情して傷を舐め合っていても前には進めません。
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>「泣いている子供をあやす時、周りは子供に向かって一緒泣くことはしない。泣き止んでもらうために一生懸命笑いかける。」
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>本で読んだか誰かから聴いたか覚えてませんが、この言葉通りです
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>全員が元気ないんじゃダメ
>笑える人だけでも笑って、ツラい人を明るくさせることだって必要
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>だからウチの地区は常に前向きにみんなで和気あいあいと頑張っています
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>こんなことをウチの地区だけじゃなく、他の避難所で、他の町で、日本中で出来たらきっと日本は前以上に明るい国になると思います
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>被災地以外のみなさん、自粛ムードなんか気にしないでドンドン楽しんでもっともっと笑って、日本中に笑顔を増やしていってください
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>本日も最後まで読んで頂きありがとうございました